"不連続なものに連続性を持たせる"
普段ものを見たり考えたりする際の姿勢について、最近特に大切だと感じていることがある。それは、一見揺るぎないように見えるものごとの区切り方を疑ってみることだ。
多くの区切り=境界は「いま、ここ」でしか意味を成さない普遍性を欠いたもの、人為的なものでしかない。その事情は合理的で時に乱暴なのだが、それが社会に見合ったものであるため私たちは大抵は気付かないか、見て見ぬふりをする。
私は「もっと細やかな世界の見方があるのではないか」と考えている。その始点として、今ある境界を疑う。そして制作においては、そうした観察や思考を通して、不連続に断ち切られたものにつながりを持たせていくことを試みる。私はこの境界が侵される瞬間、つまり不連続なものが連続へと限りなく近付く瞬間を作ろうとしている。
"シフトキーとしての身体"
その方法のひとつとして、私は身体(あるいは身体感覚)をたよりにしている。なぜなら、ものごとの新しい捉え方を考える時「身体がシフトキーのような役割をする」と考えているからだ。なぜそう考えるか。それには2つの切り口がある。
1, 曖昧なものへと変化する身体
2, メジャー(ものさし)としての身体
この2点をひとつずつ説明していきたい。